絶対に父が許せない私【後編】

28
1月
2017

おはようございます♪

今朝もいいお天気ですね・・・

最近、朝、少し歩く時間を設けています・・・

この時間はただぼーっと朝の空気や太陽の暖かみに

身を任せていてもいいし、簡単な自己ワークをしたり・・

なかなか気に入っています♥

 

==========

今日はセッションを受けてくださった感想を

許可が下りているので載せてみたいと思います。

長文ですが、この方のジャーニーが本当に深く

今までのセッションの統合的な時間でもありました。

お時間あるときに是非どうぞ・・・♥

 

50代、女性、アーティスト、一瞥体験アリ

継続中の方で1年以上ずっとご自分のジャーニーを

深めて行っています・・

一年前にここに来たときはお父様を亡くされたばかりで

様々な出来事に、かなりアップアップな

苦しい状態でした。

180分結婚コースのセッションです。

 

でも、今では過去の自分を笑いながら振り返れる

余裕と全てが「赦しの中」で起きていたことが

身体を通じてもしっかり浸透しています・・・

 

***********

 

今回は、これまで事実だと思い込んでいた私の不幸のストーリーが、 かなり緩んだ状態から始まりました。

あとから音源を聴くと、ますみさんも、 最初から深い受容の世界を前提に、セッションを進めていたような? そんな印象を受けるんですが・・・

「姿を変えたくないと言う自分のアイデンティティを消すのではなくて、

癒して違う形にしようとするのではなくて、 その形でいる理由を、徹底的に訊いていくこと」

というますみさんの言葉の通り、 まず、父が亡くなったことで、私の中から出てくる後悔の声を 丁寧に拾っていきました。

小学校6年の時、自ら遊びを禁じて、校舎の前に一人、孤独に 立っていた私。

その私が「大人になりたくない」「成長したくない」という思いを 強烈に抱えていたことを再認識。

遊びたい!という激しい衝動のエネルギーを身体に封じ込めたまま 今まで生きてきたことに気づきました。

とても自然にセラピーに移り、父の死に対して抱いていた思いを RFTで癒していきます。

途中、亡くなった親友が現れて、癒しに参加してくれました。

今まで毎回のように出てきた「緊張感」が、やはり大きなテーマに なっていきましたが、

その緊張感の根源は、 私が住んでいるシンボリックな家であり、

すべてが緊張感の中で起こっていて、起こることはどんな苦しいことであれ、

すべて家のエネルギーに守られていたことに気づきました。

家から思い出したのが、シルヴァスタインの絵本「おおきな木」。

一人の人間に与え続ける、りんごの木の話です。

昨年春のセッションで、すでに家に対して「おおきな木」のイメージを 持っていましたが、また出て来てくれました。

私にとっての「おおきな木」・・・それは、家と、離婚した両親でした。

亡くなった両親が天国で会っていることを思い浮かべると、 2人はお互いのことを気にかけていた様子で、子供である私のことを 話していました。

「あの子が生まれて、本当によかったね」と。

その両親のイメージは、朝霞の施設の行き帰りに見た空にありました。

亡くなった両親が、朝霞の空で微笑みながら話していて、 それはそのまま、大きな受容のエネルギーになって行きました。

すると、私はこれまでずっと「おおきな木」の中にいたことに気づきました。

いくら抗っても「おおきな木」の中でしかなかったこと、 「おおきな木」という受容の中でしか、私のストーリーが生まれなかったのです。

先日垣間見た、父を通した戦争と原爆のペインボディは、 とても大きくて恐ろしかった・・・

でも、そのペインボディすら、この果てしない受容の中にありました。

戦争は、人間の恐れのエネルギーから起きます・・・ しかしその恐れのエネルギーはもともと、この大きな受容がなければ 生まれることはできないんです。

朝霞の空の下には誰もいなくて、何かがうごめいていましたが、 とても静かでした

どこにも行く必要はありませんでした。

何かの姿になる必要も、ありませんでした。

このままで、何の問題もなかったんです。

すべてがそこからしか起こり得ないのに、 問題をわざわざつくっている人間、

その問題をつくることも、受容の器あってこそつくることが出来た。

すべては、すでに赦されています。

この果てしない受容は、私、知っていました・・・!

小さい頃はもちろん、今の今まで、ずーーっと知っていたことです。

「これのこと」という非二元の本がありましたが、 本当に「これ」という感じ。

あまりにも身近で、何となく気づいたらヤバいことだと 思っていただけです。

気づいたらヤバいからこそ、それを非二元とか言って、 いかにも凡人には理解できなさそうな、

高尚な知識や概念にして、大人っぽく説明していた。

本当は誰でも知っているし、誰もが一度もそこから離れたことはないし、 離れることは不可能です。

一瞥体験は、ただの体験に過ぎないと言いますが、 まったくその通りです。

私の一瞥体験は、強いて言うなら、 突然襲って来た「身体感覚」でした。

ある日突然、自分の身体と自分以外のものが、 完全に一体だとわかったんです。

その時、すべてから名前と意味がなくなった。

それだけのことで、このセッションのような、 大きな受容の感覚はありませんでした。

つまり、名前と意味が消えた世界に対して 個の私が動揺していて、そこに赦しがなかったんです。

絵本「おおきな木」からここに繋がるとは、予想外でした。

この「おおきな木」を、言葉で表すことはむずかしいです。

とりあえずは、「果てしない受容」「うごめくアート」 「永遠の静寂」・・・でしょうか。

本当に今回は、大きくシフトした回だったと思います。

 

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