絶対に父のことが許せない私【前編】

07
2月
2017

こんばんは☆

珍しく夜の投稿です♪

 

今日もセッションの感想文ですが

今日は前回『絶対父のことが許せない』の方の

一つ前のセッションのフィードバックです。

 

この方は書いてくださっている通り

性同一性障害であり、アーティストであり

一瞥体験あり、苦しみ方も半端なく…

回数はそれなりに通っていただきましたが

最初の頃が嘘のような今現在です♪

 

様々なテーマを崩しながら、一貫してこれだけは

動かなかった【父への許せない気持ち】

 

この許せなかった父への感情がこの2回のセッションで

今までが結びついたような形となりました。

 

父の癒しも『やっと着手』に至りました。

 

いやはや…

変われば変わるものなのです。

 

この最後に添付して頂いた写真2枚は私もずっと

関わっていただけに…じんわり涙目になりました。

このセッションの頃に見つかったなんて♪

いや…

泣けました❤︎

 

絶対に父に愛されているなんて許せなかったし

認められなかったのにね…❤︎

→すっかりお母さんの気持ち❤︎

 

*もちろんご本人の了承得ての掲載です。

長文なのでお時間のある時にどうぞ❤︎

 

***************

 

初セッションから10か月。
これまで、いろいろな癒しは起こっていましたが、
セッションを受けるきっかけになった、亡くなった父との
関係については、大きなシフトが起こらないままの状態でした。

私を苦しめた父、醜い姿を見せつける父、絶対に許せない!
そんな犠牲者としての自分が、ずっといました。

ただ父からの大きな愛情があることには、気づいていました。
父が一人ぼっちで苦しんでいたことも、うすうす知っていました。
でもそれをを受け入れたら、自分が崩壊してしまうだろうと思って、
怖くて必死で抵抗していたのでした。

そんな折、父の郷里、呉が舞台になった、
戦争がテーマのアニメ映画「この世界の片隅に」を
観に行ったのです。
この映画が結果的に、大きなギフトとなりました。

映画を観ている間中、スクリーンの中に父の姿を探し続けました。
号泣しながら、やっと父が一人の人間として、
距離をおいて見え始めました。
父が一生を通して、いかに深く戦争というものを
背負い続けたか、この映画を通して伝わって来た気がしたのです。

さらに道を開いてくれたのが、この映画の大ヒット。
まるで大勢の観客が、スクリーンの隅で孤独に苦しんでいた父を
見つけてくれて、父の一生を褒めたたえてくれたように、
私には受け取れたのでした。
「あなたのお父さんは、偉大な人だね!」と。
父を褒められることが、私の喜びになって行きました。

もちろんこんなふうに受け取れたのは、
これまでのセッションあってこそのことです。
癒しは、セッション中だけに起こることではないのですね。

思い出してみると、小学校低学年まで、私は父が大好きで、
父とのスキンシップがたくさんあります。
私を愛してくれる、守ってくれる大きな存在、
それがパパでした。

ところが小学校2年の時。
私が残したご飯を、父が「嫌だよ。そんなのは小さい頃だけだ」
と言って食べてくれなかったという「事件」が起きました。
その時、「大きくなった私は、愛されないのかな?」
という解釈が起きたのです。
私は性同一性障害でしたから、成長して自分の身体が
女性になっていくことも大きな苦痛でした。

それから中学2年の時に、家族が行かない場所で、
父の「エロティックな秘密の創作」を見つけてしまいました。
裸の女性の写真を鉛筆やペンで加工して、
異常に痩せ細った姿にした「作品」が大量にあったのです。
14歳の私がそれをどう解釈していいのかわからなくて、
ただ圧倒的な恐怖感しかなく、私の父は変態だと
思うしかありませんでした。

(父の死後、机の引き出し奥からこの創作がまた見つかって、
激しく動揺・・・それがセッションを受ける直接のきっかけでした)

その頃、両親の離婚話が進められ、父は家で怒りを
爆発させることが多くなりました。
一人っ子の私は、緊張と不安におびえながら、
毎日を過ごしていました。

私は両親の離婚を強く願うようになりました。
幸せ、より良くなることを考えての願いではなくて、
私の苦しみを、私と出会うすべての人たちに
理解してほしかった。
その証拠となる事実が欲しかったのです。
誰にでも伝わるような「血と汗にまみれて苦労している姿」
になりたかったのです。

この時から私は、苦労は買ってでもするようになりました。
世間知らず、お嬢さんと呼ばれないために命をかけて、
一般に人があまりしないことばかり、
無意識に選んで経験し続けました。
そして父の介護は、私が勲章にしきれなかった、
もっとも大きな苦労でした。

セラピーで、介護生活で苦しんでいる私を見て行きます。
介護中に一番辛かったのが、父に食事を出すことでした。
父がいきなり怒り出すことや、味について何か言われることが
怖くて、いつも膝を震わせながら、食事を運んでいたのです。

その場面を見て行くと「愛されていないと信じている小2の私」が
同化して一緒にいるのがわかりました。

父の介護をしていた50代の私は、実は小2の私だったのです。
その私が父の言動におびえ、傷つき、
「大きくなった私が、パパにできることは何もない」
と絶望していたのです。

そこから、ますみさんの提案で、もっと幼い5歳の頃の私に、
イメージの中で、食事を出すのを手伝ってもらうことにしました。

5歳の彼女は父が大好きで、父の愛情の中にいることしか知りません。
その5歳の私は、父を癒すことができたのです。
父はその子を見るとすぐに微笑んで、頭を撫でました。
その子が何もしてくれなくても、ただそばにいてくれるだけで
嬉しかったようです。

でも遊びたい盛りの彼女は、なぜ父が寝てばかりいるのか、
わけがわからなくて、泣き始めてしまいました。
「パパ、つまらないよ! 遊びたいよ!」と訴える5歳の私に、
声をかけて教えてあげます。

「パパがこうなるのは、とても自然なことなんだよ・・・
年をとると、みんなこんな風になるんだよ・・・
大好きなパパが年をとるのは、とても悲しいよね・・・
悲しくていいんだよ・・・」
5歳の私は、パパが老いたことを本当の意味で知って、
今度はそれが悲しくて泣きました。

次に、イメージの中で5歳の私が、父を癒して行きました。
ベッドに横たわる父に、ゆっくり話しかけます。
「小さな私には、どうにかできるわけじゃないけど、
パパが絶望し過ぎて、悲し過ぎて、だから怒っちゃうのはわかるよ・・・
なんとなくわかるんだ・・・
パパが怒っててもいいと思うし、絶望しててもいいと思うよ・・・
パパがそういう姿を見せてくれたことに、ありがとう・・・」

父は「なぜそんな話を始めるんだ?」と戸惑っていましたが、
徐々に泣き始めました。
自分が背負っているものを感じている様子です。
それは父一人のものではなくて、言葉にならないほど大きなものに
なって行きました。
それをそのまま、受け止めて行きます。

父は「死にたくない!!」と言って泣きます。
その思いも、ただ受け止めて行きます。

「死にたくないって思うの、当然だよ・・・
死が怖いのは当たり前だよね・・・
パパがずっとこの恐怖を抱えてたこと、
今まで気づいてあげられなくてごめんね・・・
ひとりぼっちで苦しかったね・・・辛かったね・・・
小さい私はパパの気持ち、ぜんぶわかってるから大丈夫だよ・・・
だって私はパパの子供だから・・・」

父の死への恐怖は、直接的ですごくリアルなものだったことが
感じられました。
引き裂かれた軍人の遺体のイメージが出てきます。
戦争、原爆という人類が背負ったエネルギー、
エックハルト・トールの言う、集団のペインボディではなかったかと
思います。

セラピーを終えて、私の原点が「ヒロシマ」にあることを
確信しました。
不思議なことですが、戦争も原爆も体験していないのに、
父を通して、亡くなった人の無念の叫び、絶望、権力への怒り・・・
それらがまるで自分が体験したかのような痛みとして、
いまここに感じられるのです。

ますみさんと話しているうちに、父と私は、実は同じ痛みを
共有する同士のような関係だったことに気づきました。

原爆投下直後、父が親戚を助けるため爆心地に入ったこと、
そこで親戚が一人残して全員亡くなっているのを見たこと、
あの地獄絵図を見たこと、18歳の父がどんなにショックだったかと
思い馳せます。
「戦争で死ぬ以外に、道はない」と思っていた父が、
戦後、価値観をガラリと変えなければならなかったことで、
どんなに絶望感を深めてしまったことかと想像します。

父の「エロティックな秘密の創作」も、戦時中の食糧難で、
痩せて心身ともに荒んだ女性たちを前に、多感な10代の父が
美として受け取ったものを表現したのではないかと、
少しずつ感じるようになりました。
それを変態と名づけることもできますが、
とにかく描かずにいられないほど、心を動かされたものだった
ことがわかります。

それらは、今まで私が気がつくことを、必死で避けて来たことでした。
私に見つけられることを待っていた大好きなパパ、
そしてパパに愛されたかった小2の私でした。

今、父を失った悲しみが、今頃になってせきを切ったように
湧いてきて、まるでつい最近、父を亡くしたような感覚です。
もう一周忌を過ぎてしまったなんて、信じられない・・・

父の遺品を見ているのが辛くて、父に怒りをぶつけるように、
すぐに処分して、早々にリフォームもしてしまいました。
今は父の生活の痕跡がまったくない、空っぽの部屋を見るのが
とても悲しくなっています。

呉の写真を探していたら、私の小さい頃の、
両親に大事にされていた様子がわかる写真がたくさん出てきました。
どうやっても抗えないもの、父の大きな大きな愛情が、
私の中になだれ込んできます。

今回は、ますみさんの人生経験の深さと、
人類レベルの深い悲しみに寄り添える安定感を、
強く感じるセッションでした。
ますみさんがセラピストで、本当によかった!と
(何度も言っていますが)思います。

 

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  1. Pingback: 中心のない生き方へ♪ | Care of the Soul “魂のケア”

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