私がセラピストになったわけ♪

04
2月
2016

私がセラピストになったわけ⑤

④の続きから・・・・

 

そんなわけでまだ、その頃は本当に自分癒し、ひたすらセッションを受け

自分の中の気が付かない思いを見つけ、寄り添ったり解放したり、

また日々の中で自分を責める声ともある意味戦いながら毎日を

過ごしていました。

 

仕事は安定した仕事をしていたのでそのままこれを一生続けて

いくのだろうと漠然と感じていましたが、自分癒しを続けるうちに

仕事に対しての自分の抑圧した思いや、本当のハートの声と対面

することも多くなりました。

 

私はこの仕事は好きだけど本当はどうして好きになったのか、好きに

ならざるを得なかった理由も見えてきました・・・

 

全てが深い潜在意識を見つめて癒すことで自分の謎がどんどん

溶けていきました・・・

 

でも、まだまだ子供と距離を取った罪悪感は消えることなく

2012年ごろからは『悟り』『非二元』に興味を持ちました・・・

 

何故かと言えば今でこそ分かりますが自我が苦しみから逃れるには

『悟れば一発逆転で苦しみから脱却できる』と思ったからです。

 

〇〇さんの講座で△△の儀式をうけると悟れるよ、とか〇〇さんの

セッションを受けると悟れるよ・・などの情報が入ると飛びついていました。

 

エゴの大好物ですから・・・笑

 

でも、実は悟る誰かもいないし、何かから何かへ変わることが悟りでもなく・・・

 

今は師匠である溝口あゆかさんから沢山のサットサン、お話を通じて

とてもリラックスできるような日々です・・・・

 

と言うわけで本当になりたい!!と思ってセラピストの学校に行ったわけではなく

自分癒しが高じて今のセラピストに変化していきました。

 

とてもとても自然に・・・

 

私のセッションの特徴ですが自分が非常に苦しかったので目の前の

クライアントさんを暗闇の中のヘレンケラーと例えると・・・

私はサリバン先生。

 

ご本人が諦めない限りとことん根気強くフォローし続けます。

そして、一人ではなく一緒にがモットー!(私が一人がとても辛かったから・・・)

そして・・サポート力が自慢です♪

 

一人一人と深く付き合います♪

 

そんな私ですが・・・これからもどうぞ宜しくお願い致します☆

 

改めてざっと書いてみましたが、その時々は本当にそれが私の精一杯、

一番正しいと思っていた選択であったし、頑張っていたなぁと思います。

 

過去の傷ついていた私を今もセラピーで救いに行ったり、自分もセッションを

受け続けることで一生これはもう、完了~、癒えきった私にはならないと思います。

 

でも、深いところでの自分がどうしてこんな風にある出来事を感じていたのか

見えていたのか、聞こえていたのか・・・

そしてそれはどんな世界観の中で生まれていた思考なのか・・・

 

どれが分かると全然解釈が変わり、とんでもなく(笑!)ラクになります♪

 

苦しい方に癒しって楽しいよって言ったところで『あなたに何が分かるの?』と

過去の私なら毒づいていました(笑  でも、わかる、わかる♥)

 

セラピストさんに投影して怒りをもったり、凄くわかってくれていない悲しさで

自己憐憫にふけったこともあります・・・

 

物凄く自己価値が低く、たとえで言えば『日本海溝の底』で、時々提灯アンコウが

通るぐらいの深海で真っ暗闇でしたがこんな私でも身を以てラクになる体験を

することが出来ました。

 

なので、どんなクライアントさんを前にしても共感と親愛を持たずにはいられません。

 

一緒に二人三脚で歩きましょうね♥

 

長文、お読みくださり本当にありがとうございます!!

 

healing space mamy

浦松ますみ

 

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04
2月
2016

私がセラピストになったわけ④

③からの続きを書きます~♪

 

はじめてわが子と距離を取って・・・

実は気が付いたことがたくさんありました。

 

私は娘と一緒のときは彼女にこんな思いをずっと持っていたことに・・・

 

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●この子は凄く傷ついていてかわいそうな子だ。

学校にも行けずに私が学校で得られないものを何か穴埋めしなくては!

●この子は弱い存在だ。だから私が守らなければこの子はダメになってしまう。

この子には私が必要なの!

●私の人生をすべて犠牲にしてもこの子を助けるべき。親ならばそれは当然!

特にあなたは離婚したんだから幸せにするべき!!

●どうにかしてこの子をラクにしてあげたい・・・。役に立ちたい!

自分の辛さはその次!

●娘にこんなに必要とされている・・・。私もっともっと頑張らなきゃ!

●この状況は自分で作ったものなんだから誰かに助けてっていっても

最後は自分で尻拭いしなきゃダメなんだからね⇒自分にいつも言ってる。

●あぁ、どうしてだれも私を守ってくれないの?みんな知っているのにどうして

口先ばかりで逃げるの??⇒身内に怒りを常に感じている。(妹はなぜか助けてもらって

居たので別でした)

●子供を救おうとするあまり、どんどんひどくなる症状に対して相手を無意識に

責めていたことも多々あり・・

●私は凄く孤独・・・

●早くラクになりたい・・・(自分も消えたい)

 

======================

じつはこれは典型的な共依存の症状でしたが全く言葉や概念も知らないし、

病院でも診察、投薬は5分足らず・・・

 

時々長い時間をかけての傾聴が入りましたが全然状態は酷くなるばかり・・・

 

かなり重い薬が処方されていましたが耐性もあり、全く元気に見た目が

身内からは見えていたのと、自分でも当たり前と思い込んでいて

2010年までは本当に自分ケアゼロでした。

 

 

はじめてここからが『私ってどんな状態なんだろう』に意識が向き始め

溝口あゆかさんの事は10年前から知っていてブログや日本で開かれていた

ワークショップなどには行っていましたが

家に帰れば現実があり、習ったことなどは頭からすっ飛んで

日常の渦にすぐに幾らでも戻れました。戻ってしまったんです。

 

でも、このあたりからトピックが『子供から私』へ変化し、自分に起こっている

感情、思い、身体感覚の潜在意識への問いかけが始まりました。

 

セッションも溝口あゆかさんの関係の方に多く受けるように

シフトしていきました。

 

2011年にロンドンのカウンセリングコースに行った私は

そこではあゆかさんの質問の

『この中でカウンセラー、セラピストとしてやりたい人は?』には

手をあげませんでした。

 

その当時は地獄から一息ついていたのでまるで自分の悩みがすべて解決したかの

ように感じていた位である意味、【解放されたと思いたい自分時代】と振り返れば

分かります。

 

でも、こんな風におもいたいよね~~って当時の自分を肯定のクッションで

抱きしめたい感覚です。

 

だって・・・今までが辛すぎたんだもんね・・・

『今』ぐらい【地獄は終わって苦しみは乗り越えた。もう大丈夫】って感じたいよね・・・

 

 

でもそのうち、いろいろな講座や、ロンドンでの同期生達との関わり、

そして勉強会を重ねるうちに、自分の中で

『もう大丈夫なことにしたかった』『もう、乗り越えたことにしたかった』

『もう、このことは終わったことにしたかった』などなど・・・

 

 

沢山の癒していない問題がわんさか見つかったのもこの頃からです・・・♪

自分の中のずっと抱えてきた離婚後云々よりももっと前から私の中にあった

ビリーフが見えてきました・・・

 

小さいとき、もしくは生まれる前、胎児の私がすでに持っていた

ビリーフなどもマトリックスリバーシングというセラピーを数回受け

見つかってきました~わぉ~~♥

 

人生のつじつまが合い始めました。

 

どうして私はこんなタイプの人に惹かれるの?

どうして私はこんな状況によく巻き込まれるの?

どうして・・・

どうして・・・

 

ここからが加速し始めた感じです~♪

 

⑤に続く・・・

 

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04
2月
2016

私がセラピストになったわけ③

②の続きから・・・

 

パニック発作で苦しんでいるときに実は私の妹が

同じような状況に電車に乗っているときになるよ~と

打ち明けてくれたとき・・

どんなにか心強く思ったことか・・・

 

自分しか分からないし、誰にもわかってもらえない感をますます

強めていた私にとって妹の存在は本当にありがたかったです・・・

 

美容院へ行けなくなっていた私に家に来て髪を染めてくれたり

洗髪の時に家にいてもらい飛び出したくなる私を抑えてもらったり

(実際、居るだけでも我慢が出来るぐらいに安心できました)工夫しながら

毎日を子供の命は相変わらず見張りながら過ごしていました。

 

そして、私は大丈夫だから子供を・・・!ということでこの頃も病院で

色々なカウンセリングを受けたり、子供の症状に強い先生を全国から探して

有名な方へ見てもらいたく駆け回っていました。

もう、毎日が命がギリギリの状況でしたから有名な方だとすぐに良くなりそうな

気がして突き動かされていました。

本当にこれは元気でしていたのではなく今思えば躁状態です。

 

子供のケア100%でした。

 

自分ケアはゼロです・・・なぜならば『私は大丈夫。あの子さえラクになれば・・・』

が当たり前だったので・・・

 

注)当事者は自分がどんな状態かなんてまず気づくのは難しいです。

ましてや大切な家族が辛い状況だと自分ケアはすっ飛んでいます。

 

 

今思えば一番見た方がいいのはまずは『親である私』なのですがその当時は

そんなこと言う先生に会えば『この人は当てにならない・・・』そんな風に

感じたでしょう。

 

でも、子供の方もカウンセリングを受けてもどんな有名なお医者様に診せても

坂を転げ落ちるように状態は悪化し、高校3年生までの間に沢山の入退院、

などの経験を繰り返しました・・・

 

 

結局は行政、警察が間に入り共依存になっていた共倒れ直前の状態の

親子関係を距離を置くことで息を吹き返す始まりになりました。

 

この時までは私は自分から離婚後、一人で育てると決意したのに我が子

を手放してしまうことへの物凄い罪悪感で

絶対に自分が許せずに許可が下りませんでしたが

『行政が、警察が』といった何かのせいにすることで

ようやく自分でも離れる決心がついたのでした。

 

言い訳が必要だったんですね・・・(これも今だからよ~くわかります♪)

 

この何かのせいにする・・・これものちのちセッションや心の仕組みである

インテグレイテッド心理学で学ぶことになります。

インテグレイテッド心理学は私の心のバイブルで今でも毎年欠かさずに

師匠の溝口あゆかさんから習っています。

 

ちなみに、本当に副産物としてですが⇒心の仕組みから見ると自然なことですが

子供は今は自立し、仕事をとても頑張っていて、人を指導する

ポジションに付き、結婚しています・・・

離れた当初は勿論荒れて大変でしたが自分の中の本来の力を

距離を置くことでゆっくり回復していき、自分が自分を信じる力が

顔を出してきたように思います。

 

私も今でこそ本当に親子はいつもそばにいて手取り足取りすべて

やるべきから【遠くから見守る愛もある】と心から思えるように

なりました⇒これは時間がかかりました。

 

最初はずっとそんなのは言い訳で逃げだと、自分を責めていましたが・・・

 

子供と初めて距離を取ることから、【初めて自分へ目が向いた私】が

体験した変化について続きに書きますね~☆

 

④に続く

 

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04
2月
2016

私がセラピストになったわけ②

前回の続きから始めますね♪

娘の命を守るための緊迫生活に移行していったころから

私の身体にも異変が起き始めました。

 

私は実は凄く身体が多分丈夫と思い込んでいたのですが

⇒後でセッションで出てきたのはとんでもない抑圧の蓋の数々・・・

 

どんどん蓋は厚くなり、数も必要になり、それを抑える力も当然必要になりますが

離婚ということで『私が一人でこの子たちを守るべき、守らなきゃ』といった思いに

突き動かされて表面上は『躁状態』となっていました。

 

が、初めて自分でもおかしいと感じた異変は【パニック発作】でした。

 

初めての発作は物凄く突然にやってきました。

子供の命の見張り役に疲れていたけれど止められない

状況での美容院での洗髪の時でした。

 

もう、急に飛び起きて顔のガーゼを振りほどき、

泡のまま、外に飛び出したくなる衝動をどうやって

抑えたのでしょう・・・

息が詰まって心臓がバクバクしてこのまま死ぬ・・・

本気で感じました・・・

 

でも、抑圧の強い私はそのまま平気なふりをして

美容師さんをむしろ笑わせるような素振りを演じていました。

⇒ここも後でセッションで出てきた自分のビリーフである

『平気なふりをしなければならない・・・』に関係する行動でした。

 

注)とにかく、私たちのビリーフも出来るわけが必ずあります。

 

本当に恐ろしい経験でしたがパニック発作という概念も知らない私は誰にも

相談できずにいました。

 

次に電車です・・・

もう、たったの一駅が我慢できなくてドアをこじ開け飛び出したくなる

衝動・・・・

それも、昨日まで全然平気だったのに、突然感じた衝動・・・

冷や汗、倒れそう、動悸、息切れ、めまい、顔面蒼白・・・

 

とにかく電車の窓を割って飛び出したい衝動なんです・・・

 

 

そのうち家でお風呂でシャンプーしていた時にこの発作に襲われました。10階に

住んでいたのですがこのまま飛び降りたい衝動が抑えきれずに自分で自分の

身体を必死で抑え込んだのを覚えています・・・

 

あまりにもおかしな現象が続くので子供の診察のついでに見てもらうと

パニック障害ですね、と診断され投薬治療が始まりました。

 

このころは既に病人が病人をみている状況であり、限界も超えていたのですが

『私は誰にも助けてもらえない存在なんだ』と深いところでビリーフがあり

仕事を休むとか、母に来て欲しいが言えない自分でした。

 

これももちろん後からのセッションで見つけた潜在意識の思いです☆

だって何と言っても『メリットのない居るだけで重荷』な私だと

深いところで感じていたら当然ですよね・・・

 

自分で気が付かない思いに私たちは凄くコントロールされています。

 

③に続く・・・

 

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04
2月
2016

私がセラピストになったわけ①

こんにちは♪

healing space mamyの浦松ますみです。

はじめましての方も、良くご存知の方も・・・

今までHPの中でプロフィールなどに書いてあったので改めて

書くことがなかったのですが自分自身の振り返りも含めて

【私がセラピストになったわけ】を綴ってみたいと思います♪

====================

私は溝口あゆかさんのロンドンのカウンセリングコース

2011年に参加し、今はJMETのEFTトレーナー社団法人ハートレジリエンス

協会のメンバーとして東日本大震災のケアラーのケア、トラウマのケア

セラピーの普及の為にのべ500人以上の方々のサポートの

お手伝いをしてきたり・・・

年齢は50歳、24歳、21歳の女の子と男の子の母であり

結婚の経験があり・・・

 

とまぁ、こんなことはどちらでもいいことですが何故そもそも

セラピストになったかと言いますと・・・

 

上の娘が12歳の時に離婚を経験し、偶然?それとも必然なのか・・・

その時から初めて自分の子がいじめられるという経験をしました。

 

最初は『〇〇ちゃんがなんか仲間に入れてくれないの』『私の上履きがなくなっているの』

から始まり、なんだか娘の様子がどんどんおかしくなっていきました。

 

私も初めのころは『なにか、あなたが〇〇ちゃんの怒るようなことしたんじゃないの?』

『自分がどこかに置き忘れていない?』とか・・・

 

今考えるとその当時私には全く気が付かずに普通に使っていた言葉で、

大人の自分も誰かに仲間に入れられていない感じがする・・・とそのときは、まず最初に

『私が相手を怒らせる何かをしてしまったんだ』という思考が当たり前のように

沸いてきました。

 

⇒これも後になってセッションを受け、問いかけ、セラピーで見つかったものですが

『私は(存在するだけで)迷惑な重荷』『私はメリットのない役立たず』などの

セルフイメージ、ビリーフが出てきたのでした・・・

これじゃ~当然、何かあればまず最初にすることは自分を責める、自分が悪いといった

行動になりますよね~~

 

しかも、こういった自分が信じ込んでいるビリーフ(自分の中の絶対真実の思い)は

自分でまったく気が付いていないわけですから当然、ノーチェックです。

 

で、話は戻りますが娘がどんどん学校で居ずらくなり中学は別の学校に越境させて

新しい人間関係を構築させてあげようと思いました。

が、当然、上手く行かずに本格的に外出できない状態になっていきました。

人が怖くなっていったのです・・・

 

全てはここには書けませんが本当に地獄の日々が始まりました。

生きることが辛くなれば当然どうやったらラクになれるか・・・を

24時間考えるわが子の傍で、私はどうやったらこの子が学校に行けるのか、

どうやったら社会に溶け込めるのか、どうやったら・・・

 

方向がすべて子供が生きやすくなるのかに向いてしまい、自分が実はこの時に

沢山のトラウマを経験しているなんて全く気が付きませんでした。

常に子供の命を見張る生活の始まりとなったのです・・・

 

子供の命をずっと見張る緊張感は半端ありません・・・

 

②に続く・・・

 

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